2010年11月20日

白光真宏会は信ずべきものではない

宗教戦争を恐れずに、このような表題で書くわけである。
人々の理性を信じて。

五井昌久氏 (1916 - 1980)
白光真宏会の教祖

親愛なる五井先生。ああ、しかし訂正する。五井昌久と。

白光真宏会とは、街を歩いている時など、ステッカーあるいはポールという形で「世界人類が平和でありますように May Peace Prevail On Earth」と書かれたものをたまに見ることがあると思うが、それを配布している教団である。(ただし、「教団」的な締め付けは皆無である。束縛はない。)

悪いが、以下、否定的なシグナルだけを並べる(いつもだがw)。この霊的に危険な時代にあって、私達は特に「否定的な臭覚」を持たなければならないからだ。牧歌的な人間でいることはできない。

彼の本は今ほとんど手元にないので、以下、正確な引用はできないが。

1

白光真宏会の教祖、「1949 (S24) 年に『神我一体』を果し、『覚者』となった」と自認する五井昌久氏の言うところによると、ある時、彼のもとに「イエス・キリスト」が来たそうである。彼はその時、長期の肉体的苦しみの内にあったのだが(彼はそれを「自分が人類の業想念を身に受けて浄化しているのだ」と説明した)、そんな彼にイエスは言ったというのである。「あなたは偉い。私の苦しみは僅かな時間のものだったが、あなたはこんなに長い間苦しんでいる。天はあなたを祝福する。」(というような事を。)

しかし、私の考えでは(誰にも押しつけはしない)、イエズス様はそんなことは言わない。イエズス様はご自分の教会の権威と秩序を重んじられる。キリスト教徒ではない「覚者」のもとにご自分が現われてそんなことを言えば、ご自分でご自分の教会の権威と秩序を乱すことになる。
そして、事はただカトリックの問題ではない。五井氏はイエス・キリストを「覚者の一人」と言っている人である。そんな人のところにイエズス様は来るはずがない。
私はこれをキリスト教の固定的な教義からのみ言うのではない。カトリックにはカトリックの「示現」があるからである。(もちろん聖書以上のものとはされないが。)


キリスト教徒としては、私はこれ以上書く必要がない。けれど、私はヘソ曲がりのキリスト教徒であって、「キリスト教徒はキリスト教徒である前に、いかなる固定観念からも自由な探究家でなければならない」との恐ろしい言葉を吐きかねない人間であるから(必ずしも「吐く」とは言っていないw)、今「霊的世界の探究家」の位置にいる人のために、また勿論、「白光真宏会」の教えをを信じ、その導きに従っている人のために、もう少し書くことにする。

2

彼の言うところによると、ある時、彼のもとに「クートフーミ大師 (Master Kuthumi)」という霊が来たそうである。そして、やはり彼のことを誉め、祝福したそうである。この事はネット上でも確認できる。

「1970 (S45) 年10月24日 ー ヨーロッパのハイラーキ代表・イギリスのバズビー博士、聖ヶ丘にて五井先生と懇談。博士を介してヒマラヤ聖者のクートフーミ大使・地下シャンバラの聖者方からのメッセージ受ける。ハイラーキーより霊的援助・祝福を受ける。」
参照1)() 

しかし、「クートフーミ」を名乗る霊は神智学協会に出入りしていた霊である。ブラバツキーと親しい霊である。


私が五井氏から離れるキッカケになった事の一つが、これであった。クートフーミだのモリヤだのシャンバラだの、私は「得体が知れない」と思ったのである。
しかし、五井氏自身はこの出来事を光栄に思っていた。私はこの事を古い機関誌(『白光』誌)の中に読んだばかりでなく、五井氏の肉声を収めた「ご法話テープ」の中にも聞いたが、それを話す五井氏の声は明るかった。「救世の大光明霊団」の中の主要な高級霊の一人であるクートフーミからいわば「お墨付きをもらった」式に喜んでいた。


しかし、私は一時期、確かに五井氏を敬愛していた。何度か千葉の市川道場に足を運んだほどである。(彼は既に亡くなっていたが。)
けれど、今思うと、彼は知恵に長けた悪霊たちに騙されていたのだと思う。彼の主観の善意については、私は今も疑っていない。

彼の教団の中心的な祈りは、既に言ったが、「世界人類が平和でありますように May Peace Prevail On Earth」というものである。私はこの祈りも好きだった。「なんという素朴で美しい祈りだろう」と。けれども、今、この祈り言葉を画像検索にかけると、多くのピースシンボルに出会う。それは教団自身が作ったものでも教団が信奉者に作れと指示したものでもないけれど、また、両方とも「平和」を謳っているのであるからそうなるのは自然ではあるけれど、どうも気になるところではある。

二代目教主、西園寺昌美氏。彼女は富士の「聖地」にピラミッド(円錐形ではあるが)を持つ。

彼らの海外における活動組織 The World Peace Prayer Society (WPPS) は、「宗教グローバリゼーション」において、国連と足並みを揃えている。実際に行動を共にしている。
それを確認するには、彼らの言葉もあるけれど、それより次のロゴを見れば一発で分かる。


彼らはこのロゴを持つ団体とも行動を共にする

参照5 - 国連本部などでの彼らの行事の写真

彼らが国連を「浄化」しているのではなく国連と「意気投合」しているのは明らかである。

西園寺氏は若い頃から五井氏のもとで厳しい「霊修行」をした人であり、「守護神・守護霊」や「宇宙天使」など、「高級霊」を含む様々な霊的存在と、また、名が有るんだか無いんだか分からない「宇宙神」と、コミュニケートできる人のはずである。しかし、ベイサイドの聖母(私はこれを個人的に信じている。誰にも押しつけはしない)が「悪の座」とも「毒蛇の群れ」とも呼んでいる国連、「あなた方はアメリカという国ごとそれから離れなければなりません。それをあなた方の国から追い出しなさい」とまで言っている国連と、彼女はいったいどのような「霊覚」をもって心と行動を共にできているのか?


国連本部富士聖地


記事を終ろうとしたが、WPPS とピースシンボルとの結びつきについて、上で呟いた「危惧」程度のものでは済まないということが、今の今、分かった。WPPS のオフィシャルショップが「May Peace Prevail On Earth」と「ピースシンボル」が組み合わさったグッズを販売しているのである!



以下、販売代理店?サイトから(物は同じである)





ピースシンボルを持つグッズはこれだけのようである。しかし「オフィシャル」なものである。「一つだけでしょ」では済まない。「あなた方はこのデザインを認証したのですか?」と教団の上の人達に訊きたい。「神人養成プロジェクト」まで持つ彼らであるのに、誰もこれの持つ危険性に気づかないのか?

林陽氏がエドガー・ケイシーについて「いったい、彼のチャネリングの源は何だったのだろうか?」と言ったように(参照「宝瓶宮福音書は悪霊の作である」)、私達は「いったい、白光真宏会の言う『霊覚』とは何なのか?」と問わなければならない。

西園寺昌美氏に訊いてみたい。「あなたは、神智学協会についてどう思いますか? マダム・ブラバツキーについてどう思いますか? それは悪霊と関係した何かですか?」と。おそらく、彼女は「そうです」とは言わないはずである。

上のブレスレットを誰かが身につけているのを見たとしても、否定的な事は何も言わないはずである。かえって、「あらぁ、それをしてくれているの」とか、「素敵ね」とか、言うかもしれない。


結局、やはりここにおいても、
「類は友を呼ぶ」というのは真なのではありませんか?
「不思議に一致する」というのは真なのではありませんか?


そして、私は昔、こう書いたのでしたが、

今後は、こういう雰囲気のものには要注意です。
国連なども、これをやってくるでしょうから。


WPPS のロゴはこれでなのです。





「馬鹿の直観おそるべし」と褒めて下さい。



それにしても、話題がちーちゃんから離れています。
ちーちゃん、元気ですか?






白光真宏会から出て唯一会を立ち上げた森島恒吉さん。私はかつて同じ信仰を持っていた者として言いますが、つまり敵愾心・党派心は一切ありませんが、事の真実は「西園寺氏が教祖の五井氏の教えの本質から逸脱した」などという事ではありませんよ。五井氏は、いつの時点からは知りませんが、しかし「五聖者合体」においては確実に、おそらくはシャンバラとか、神智学とか、そのへんに関係した、そのへんに出没する、かなり薄気味の悪い、「アセンデッドマスター Ascended Masters」とかいう言葉で言及される霊達、そのような「文脈」で説明される霊達 ー もちろん悪霊です ー に完全に騙された、かつがれた、ということですよ。五井氏も人間であって、知恵に長けた悪霊たちにはかなわなかったということです。五井氏を訪ねたという「イエス」も本当のイエスではなくて、私の卓越せる第六感ではw、神智学的な暗い霊界の中でただ「イエス」を名乗っている、それを詐称している霊ですよ。ブラバツキーの横にいるマスター・クートフーミだの、マスター・モリヤだの、サン・ジェルマンだのの得体の知れない霊達の仲間としての「マスター・イエス」が、その時そこに居たのでしょう。

けれど、その前に、白光真宏会、そして森島恒吉さん、あなた方は共に、フリーメーソン、イルミナティ、神智学協会、このへんのものが「悪」であると、「悪霊の会堂」であると、よう言い切らんのでしょう。見極められた方がいいと思います。