2010年11月7日

実在

私は思う。人は「神とか悪魔とか霊的世界とかは実際存在するのか」という問いを余所にしながら(不問に付しながら、脇に置きながら)「宗教を論ずる」などということは、本当は(全的には、十全には)ただの一歩も、ただの一寸もできないのだ、と。
けれど、世の中には、霊的世界を信じない人の「宗教論」が何と多いことだろう!

いわゆる「魔女狩り」との関連で言及されることの多い16〜17世紀のフランスの人、アンリ・ボゲ (Henry Boquet) が著わした有名な『魔女論』(1602年)の中に、次のような一節があるらしい。

「そればかりか、魔法にかけられた人の口や肛門から、針や蹄鉄、石、紙が出てくることもある。」
ジャン-ミシェル・サルマン著『魔女狩り』(創元社)

しかし、人は思う、「魔女狩りに少なくとも確かに利用されたものなら、悪い本に決まっている。また、これは400年前の、人々が迷信深かった時代の本である。この本もその時代の人々と等しく、迷信と狂信に埋まっているに決まっている。その時代の人々は、私達のように理性的に観察したり、緻密に検証したり、合理的に考えたりはできなかったのだ。これも歴史の流れであり、責めることはできないが、率直に言えば彼らは劣っていたのだ」と。

けれど、自惚れた現代人よ、実のところ大して優秀でもないだろう現代人よ、キリストの言う「盲目」に全く当て嵌まるだろう現代人よ、それでいて完全に鼻高の現代人よ、ちょっと待て。私達の時代にも全く同様の証言があるのだ。

アモルス神父は取材中、私に、ぎょっとするものを見せてくれた。
彼はホールケーキ大の箱を差し出した。10年来、神父が手を焼いている修道女が、口から吐き出したものが入っているという。箱には日付を記した白封筒がぎっしりと詰め込まれていた。封筒の中には、40cmもある鎖、ロッカー用と思われる鍵、プラスチック製のドラゴンやワニ、そして4cmもある釘やヘアピンが数え切れないほど入っていた。全部で2kgはあっただろうか。


「まるで、吐き出すそばから口もとでこれらが生み出されているかのように見えました。それに、これだけ硬く尖ったものを吐いたにもかかわらず、直後に彼女の口の中を調べても傷一つないんです。」(神父談)
(出版社の人々よ、装丁をもう少し考えてもらいたい!)

私達は「宗教はどうの」と論ずる前に、否、少なくともせめてそれと同時に、「不思議なこともあるものだ」ぐらいは思うべきではないのか。

そして、その「ある」は、何らかの「実在」ということである筈である。
他にどのような種類の「ある」があるのか。
ぼんやりと考えているのは、私達現代人も同じではないのか。