聖書について
◎ シルバーバーチは聖書について次のように言う
ここでぜひともご注意申し上げておきたいのは、イエスに関する正しい記録はきわめて乏しいのですが、その乏しい記録に大変な改ざんがなされていることです。ずいぶん多くの、ありもしないことが書き加えられています。したがって聖書に書かれていることには、マユツバものが多いということです。出来すぎた話はみな割り引いて読まれて結構です。実際とは違うのですから……
聖書の「非信頼性」を言うこの言葉が真実であるとすれば、天国はもはや聖書のことを決して「The Holy Bible」とは呼ばないであろう。(慣用句としてさえ。)
しかしながら近年の預言である「ベイサイドの預言」では、そこに登場する「霊」達は、聖書から「Holy」という語を除くことなく、「The Book of life and love」という呼称をやめることなく、確固として聖書の全くの「信頼性」を人々に訴えかけている。
以下は「ベイサイドの預言」から聖書について言及されている箇所をベイサイド関係の老舗サイトの一つである These Last Days Ministries が抜き出し、まとめたものである。
未信者の方々においては、この内容自体、具体的なこと細かいところは、とりあえず問題とする必要はないと思う。必要なのはただ、その「筆致」を全体的に、且つ素朴に見ることである。「聖書」について、これらの霊がどのような姿勢・意識を持っているかは、語られている具体的な事柄はピンと来なくても、十分感知することができると思う。
なお、私がこの「ベイサイドの預言」というものを引用することを、たとえ聖書の擁護のためであろうと、歓迎しないカトリック教徒がたくさん居る。たくさんというより、大部分がそうである。その意味については、別途コチラ(既出)を読んで頂くしかないが、ここではむしろ、以下の言葉を素朴な心で読んで頂きたいと思う。
訳の正確さは必ずしも保証しない。というか、できないw。下線強調は管理人。
古い聖書
あなた方は皆、生命と愛の書、聖書を持っていなければなりません。新しい流行を受け入れてはなりません。書店の中に古い聖書を見つけようとしなさい。私の子供達。というのは、多くのものが人間の肉の性質に合うように変えられつつあるからです。繰り返します。罪が一つの生活様式にまでなっています。
1992年10月6日、聖母
ほんの二、三章
私はあなた方皆に、日にほんの二、三章ずつ、生命と愛の書、聖書を読むようにと頼みます。私の御子の弟子達の全てが、知識を得なければなりません。というのは、あなた方は科学的なマインドによって攻撃されるでしょうから。しかし、ズケズケと話しかけられる時にも、何を言おうかと心配しないでください。言葉は聖霊から与えられるでしょうから。
1976年4月10日、聖母
ヨハネ、ヨエル、マタイ
生命の書、すなわち聖書について何も知らない人達のために、あなた方は昔の預言者達の手引き (direction) を読んであげなければなりません。ヨハネ、ヨエル、そしてマタイは、あなた方に真理と預言の言葉を残したのです。
1973年4月14日、聖母
理解
あなた方は聖書をよく学ばねばなりません。そうすればあなた方は、永遠の聖父が本当にシンプルな道をあなた方に与えておられることを理解するでしょう。それは人間の理解を遥かに超えたことです。というのは、祈りと苦しみと犠牲なしには、あなた方は聖書を理解する為の恵みさえ、聖父から受けることはないでしょうから。
1979年10月2日、聖テレジア
あなた方の心の中に
生命と愛の書、聖書は、あなた方から取り去られることは決してないでしょう。そして、一度読まれた言葉はあなた方のハートの中に残り続けるでしょう。家庭の父親達、母親達。あなた方の子供達に、この知識の模範を与えなさい。子供達を静かなコーナーに伴い、読んで聞かせなさい。というのは、そのようにして彼らは真理を学び、光を与えられるからです。
1974年3月18日、聖母
神学者
現在、私の御子の家にさえ、人類に悪魔の教義をもたらしている多くの神学者達がいます。彼らが教えているのは人間の教えであって、神の教えではありません。多くの者が、愛と生命の書、聖書の中の言い回し (wording) を変えるという傲慢を犯しています。それらの変更は人類を罪の束縛の中へと誘い込むことでしょう。
1979年6月2日、聖母
ソドムとゴモラ
同性愛というあなた方の言葉は、ソドムとゴモラの物語によって説明されることができます。聖書を読みなさい……
1992年10月6日、聖母
15分
お聞きなさい、私の子供達。あなた方は、聖書を読むことに大いなる恵みがあるということを理解しなければなりません。たった15分という短い時間にさえ、それがあるのです。あなた方は免償の恵みを受けるでしょう。忘れましたか、私の子供達。私の御子の家の現代化の中で、あなた方は免償を意味を忘れましたか。私の子供達、それは、あなた方がそうする必要のある時に、煉獄の霊魂達に譲ることのできるものです。
1985年7月25日、聖母
家宝
神の王国への道は、聖書を読むことの中に見出されます。人は神を知りません。人はもはや聖書の啓示の中に神を探そうとしていません。
流刑にある霊魂は、ただ神の言葉によってのみ養われるのです。聖書はあなた方の家庭の家宝です。
1970年4月7日、聖母
福音書
ヴェロニカ − テレジアが言っています。彼女は生前、いつも、その小さな本を彼女の服(修道服)の折り目のところに入れ、持ち歩いていたと。私は今、彼女がそれを持って私のすぐそばに居るのを見ています。それは福音書です。今、テレジアが言います:
「私は生前、博識な者でも学者でもありませんでした。しかし、私が持ち、必要とした全ては、この小さな本だったのです。そして『キリストに倣いて』も大事にしました。」
1972年12月31日、聖テレジア
頭の覆い(ヴェール)
私の子供達。女性達がミサの聖なる御生贄の際に頭を覆わないのは、傲慢な(訳註: あるいは「挑戦的な」)態度なのです。彼女ら (They) は従わないでしょう。というのは、彼女ら (They) は、人は聖書の言い回し (wording) を変えてはらないということを理解できないからです。人間、そして教会位階は、聖書の言い回し (wording) を人間本性 (mankind's instincts) に合わせて変えてはなりません。
1978年7月15日、聖母
全体として
生命と愛の書、すなわち聖書をほとんど知らない人達は、今世界をうろつき、選ばれた者達をさえ騙そうとしている偽の証言者達の恰好の餌食となるでしょう。あなた方は文章によって欺かれないように、あなた方の聖書をよく読まなければなりません。聖書は、こちらから少し、あちらから少しと、部分的に引用されればいいというようなものではありません。あなた方はその全体を知らなければなりません。というのは、サタンは多くの者の心に毒を盛ったからです。そして、サタンというものは、聖書を説明することさえできるのです。
1979年5月26日、聖母
黙示録
私の子供達。聖ヨハネの啓示書、黙示録を読みなさいとの私の助言に従った人があまりにも少ないので、私はとても悲しんでいます。それを読みなさい、私の子供達。あなた方を照らしてくださるように、私の御子に、永遠の聖父に、また聖霊に頼みなさい。そうすれば、それらのページはあなた方にとって明確なものとなるでしょう。
それらのページは巻物のように開示されるでしょう。そして、あなた方は来たるべき日々について完全な理解を得るでしょう。長年の間人類から隠されて来たものが、世界をその自己破壊から救うため、開示されようとしています。
1981年6月13日、聖母
全く明白
人間は、時代を経るごとに、不満げになり、プライドに満ちるようになりました。彼は聖書の中に、言葉についての彼自身の解釈を加えよう、持ち込もうとして来たのです。しかし、心の単純な人達、プライドと傲慢に屈しなかった人達にとっては、聖書の言い回し (wording) は全く明白なものです。
1976年7月15日、聖母
1965年
私は次のように願う。わが声を聞いている全ての人は、自分の聖書を持たなければならない。もし持っていなければ、探しなさい。しかし、わが子らよ、正しい聖書を、1965年以前に印刷されたものを見つけるべきである。
1985年10月5日、イエズス
前進
あなた方は、右手に十字架を持ち、左手に聖書、生命の書を持って、前進しなければなりません。そして、この本を否定する者は全て、光の側の者ではありません。
1974年5月22日、聖母
ただの一語でも
あなた方は、生命の本、聖書を、人間を喜ばすために変えることはできません。そうしてはなりません。そうする時、あなた方はサタンを喜ばせているのです。あなた方は聖書の次の言葉を覚えておかねばなりません。誰であれ − 女であれ、物心ついた子供であれ、およそ人間と呼ぶに相応しい者であれば − 生命の書、すなわち聖書の中のただの一語でさえ変えようとするならば、生命と光の王国、すなわち天国の外に放り出されるであろう。光から放り出され、サタンに支配された暗黒の中に投げ込まれ、永遠に滅ぼされるであろう。
1978年7月15日、聖母
物語に過ぎない?
もし彼らがあなた方に「聖書は人間の手によって書かれた物語に過ぎない」と言うならば、それは嘘だと知りなさい。もし彼らがあなた方に「神学者達がこの1982年現在に言っている事を信じることの方が良い。実際、大きな声では言えないが、他の全ての神学者達は愚かだったのだ」と言うならば、それは真実でないと知りなさい。それが事実です。そのように言う司祭は嘘つきです。
1982年6月18日、聖母
これらの言葉が私達に「聖書を全面的に信頼せよ」と言っているのは明らかである。もし聖書がシルバーバーチの言うように「大変な改ざん」「多くのありもしないこと」「多くのマユツバもの」を含んでいるならば、誰がそれを「生命と愛の書」と呼べようか? 「家宝」と呼べようか? 「それを毎日読みなさい」と言えようか? 「そこから光を得なさい」と言えようか?
これらの言葉は、この世の多くの人々が不信を抱くところの人間組織から来たものではなく、また、個人の脳髄(潜在意識)から派生したものでもなく、「霊」から来たものである。(私の理解では。)
そして、シルバーバーチの言葉も、人間の手になるものではなく、やはり「霊」から来たのものであろう。(私の勘では。)
あなたはどう思うだろう。