私達日本人は、これらを「西洋から来た濁流」と認識しなければなりません。
それは、一つには、私達日本人は本来「ものを心で見る」ということに優れているのではないかと思うからです。
日本人の皆さん、そしてちーちゃん、トーリ・エイモスの PV は以前も少し見ましたが、ここでもう少し見てみませう。心で。
まともですか?
「心で見る」ことが大切。
「頭で見て」みますか?
つまり、
トーリがトーリの曲についてしている「説明」に
耳を傾けてみますか?
つまり、
トーリがトーリの曲についてしている「説明」に
耳を傾けてみますか?
すると、あなたはこう思います。
「それもそうかなぁ」
「それもそうかなぁ」
音声は意図的に抜いてあります。
というのは、言ったように、
人間は、まず、言葉を聞けば言葉に騙されます。
そして、それと同じように、トーリの音を聴けば、
音楽として一定のクオリティを備えているだろう
トーリの音楽に騙されてしまう可能性があるからです。
情報は時に少ない方が、対象の本質を逃さず捉えられる
ことがあると思うのです。
というのは、言ったように、
人間は、まず、言葉を聞けば言葉に騙されます。
そして、それと同じように、トーリの音を聴けば、
音楽として一定のクオリティを備えているだろう
トーリの音楽に騙されてしまう可能性があるからです。
情報は時に少ない方が、対象の本質を逃さず捉えられる
ことがあると思うのです。
私なりの感想を言えば、
Raspberry Swirl は「異常」であり、
Strange Little Girl は十分に「魔的」であり、
Hey Jupiter はトーリの顔が非常に気味悪く、
Glory of the 80's はお話にもならない、
サタニストそのものである、
ということになります。
Raspberry Swirl は「異常」であり、
Strange Little Girl は十分に「魔的」であり、
Hey Jupiter はトーリの顔が非常に気味悪く、
Glory of the 80's はお話にもならない、
サタニストそのものである、
ということになります。
「トーリはミュージシャンであって、
曲そのものこそがトーリの作品であって、
PV などはトーリにとって本質的なものではなく、
いわば手すさびである」などと、
寝ぼけた事を言わないでください。
曲そのものこそがトーリの作品であって、
PV などはトーリにとって本質的なものではなく、
いわば手すさびである」などと、
寝ぼけた事を言わないでください。