2010年12月31日

これにて閉店

(更新の閉店、の意)

昨日で今年の更新は終わるつもりでいたが、やめた。
書き溜めていたものを今日一挙放出して、このブログ自体を終わることにする。
あまり推敲していない不完全な草稿みたいなものばかりだけれど(たとえ推敲しても私の能力には限界があるが)、この際そのまま出すことにする。
少しばかり心残りなのは、プロテスタントの人達のために「トレ・フォンターネ (Tre Fontane) の聖母出現」というのを紹介しないまま終わることだ。
私は、それは日本語ではまだよく紹介されていない、と思っていたから。
けれど、十分な紹介記事がちゃんとありました。偉いもんだ。
『黙示の聖母』 http://therese.fc2web.com/rome.htm
もちろん、こういうのを読んで右から左へと考えを変えてくれるとは、まあ、あまり思わないけれども。
しかし、あなたが恵みを、特別の恵みを受けますように。


それにしても、ちーちゃん(鬼束ちひろさん)、ごめん。ここのところ、いつの間にかちーちゃんとは関係のない記事ばかりになってしまっていた。けれども、それは「直接的な関係」は無いということであって、ちーちゃんも人間である限り、いつかは真理を知らなければならない。そう思って、私は今まで、何やらゴタゴタした記事を書き連ねて来たのです。
最近(今月)の鬼束。アメリカ帰りだそうである。
良くないと思う。妖気が取れていない。
(私もヘーキで言うけど。)
何故、今や魔術の国と化したアメリカなんかに。
また、そのVサインの出し方は何かな。
(知っててやってるとは思わないけど。)
またそれは、ちーちゃんがかなり霊媒体質の人であって、また、ほとんど自分のフィーリングだけを頼りにし、本を読んだり等の普通の「精神的」な探究などはあまりしそうになく、結果ますますフラフラと悪い霊に引かれる危険性が大になる、そのように見たからでもありました。だから私はここで極めて霊的な事を書くことを遠慮しませんでした。

けれども・・・結局、人に通じるのは「言葉」ではなく「祈り」なのだろう。
だから、私は「書く」ことから「祈る」ことに完全移行することにしよう。
(こんなことはけっこう昔から言っていて、その度に反古にしているのだが.. )


皆さんが「真理」にご関心を持ちますように。
ポンシオ・ピラトのように「真理? それは何だ?」と言いますように。
その決定的な疑問に打たれますように。いわば打ち殺されますように。

そして特に、物事の探索において地上的な手法に長けている人達、この世の闇、いわゆる「陰謀」------- 特に911とそれ以降において決定的に、私のような鈍い者でもさすがに気づくような形で浮上して来たそれ ------- を深く探究している人達、私は基本的にそのような人達の営みを「必要」と認め、僭越ながら尊重させて頂きます。
けれども、こう眺めていくと、やはりそういう世界からは「希望」が出て来んのです。少なくとも「十分」なそれは。

「闇の解析」は、ある程度「必要」です。911、フリーメーソン、イルミナティ、そのへんのことに気づいてないなんて、今時、やはりお話にもならないという気がします。それらに気づくことは、この時代、基本的な「必要」でしょう。

でも、その先は?

いくら「闇の解析」を進めても、「希望」は見えて来ないことでしょう。
少なくとも「希望」と呼ぶにふさわしい確固たるそれは。

人間には希望がなければなりません。希望を捏造したり幻想したりするわけにはいきませんが、しかし「希望が欲しい」という人間の願望に応えて、希望は確かに「存在」します。「個人的な思いの中で個人的に抱かれるそれ」を超えた形で、一種客観的な形で、裏付け、実体のある形で、それは「存在」します。
それはちょうど・・・若い頃の私がこう思った時 -------
この「世界」が詰まるところ「弱肉強食」の世界であって、且つその根底には「虚無」しかないものならば、私は少しも真面目に生きる気などせえへんわ。一方には善を為しても悲しく死んでいく人々が居て、他方には悪を為してもバレず、おいしい思いだけをして死んでいく人々が居て、且つそれ以上の事が本当に何もないなら、私は真面目に善を志向しようなんて思わへん。この世界、この宇宙の根底には、どうしても善悪原理が横たわっていて欲しいわ。そうでないと、ほとんどこの地面の上に立っているのも難しいわ。
------- 若い頃の私がこう思った時、宇宙がちゃんとこの願望に対応する「天国」と「地獄」というもの(実在)を用意してくれていたように ------- 宇宙はよくできたもんです ------- 捏造でも幻想でも「個人的」でも「心的投影」でもない実体的基礎のある「希望」を、宇宙はちゃんと用意してくれています。

しかし、
それはマシュー君ですか? 残念ながら、ノー。
シルバーバーチですか? 残念ながら、ノー。
神智学ですか? 残念ながら、ノー。
聖白色同胞団ですか? 残念ながら、ノー。
クリシュナムルティですか? 残念ながら、ノー。
Osho ですか? 残念ながら、ノー。
白光真宏会ですか? 残念ながら、ノー。
岡田茂吉ですか? 残念ながら、ノー。

イエズス・キリストです。
しかも、大事なことに、「マリアを通してイエズスへ」です。
(などと言うと、また「仲介は唯一…」と始まるかな、頭カッチン。)

皆さんがいつか、いや、今直ぐにでも、それを発見なさいますように。


聖ルイ・デ・モンフォー著
『ロザリオの神秘』
エンデルレ書店
7net)(カトリック書店
在庫あるかなぁ。。


ちょっとした証し

まだ未信者の時
試しにロザリオというのを祈ってみよう」と
初めて祈った時、こうなりました。
ビックリ仰天。
この絵は、初めてホームページというものを持った時に、それを伝えようとして作り、実際使ったものです。でも、その話は何となく「自慢」的な感じを与えかねないし、また自分の心においても微かな自惚れの誘因になりかねないので、ほどなく削除しました。
けれどとにかく、神は在り、ロザリオの祈りには凄い恵みがあります。
示現の聖母がおっしゃる通りに。


ルルド、ファチマの物語を「まともに」読んでください。「詳細に」読んでください。「魂で」読んでください。(笑いますか? 知的な人々。)
先入観を一切排除して、文字通り「虚心坦懐」を実現して(言っておきますが、極めて困難です)読んでください。

ルネ・ローランタン著
『ベルナデッタ』
ドン・ボスコ社


M. D. ポアンスネ著
『聖ドミニコ』
サンパウロ
PAULUS shop)(7net



押し付けがましい(よく言われますw)


では、読んでくれた皆さん、ありがとうございました。

さようなら。
良いお年を。