2010年12月21日

陰謀論頭

私は以前の記事でこう書いた。
この時代において、明敏な人は、"この地上は「陰謀」で埋まっている" と言っても過言でないことを知っているはずです。
また別の記事ではこう書いた。
私は、自慢じゃないが、連想魔である。時々、「何でもかんでもをくっつける(結びつける)」と非難される。しかし、確かにたまにはオーバーランすることもあるけれど、自分ではそんなに「何でもかんでも」ではないと思っている。
自画自賛になるが、その通りだと思う。すなわち、私達には二つの事が大事である。この時代、人は「陰謀」に敏感ではなくてはならない。しかし同時に、「陰謀論頭」になってはならない。今日は後者について、つまり「オーバーラン」について、簡単な表示をする。


ある人々にとっては、次の写真が大問題らしいのだ。「教皇ベネディクト16世のサタン崇拝」を暗示しているらしいのである。


どうしてかというと、
  1. この形の帽子はイタリアで「Saturno(土星)」と呼ばれている。
  2. 古来からある種のサタニスト達は土星を崇拝していた。
  3. よって、教皇のこの帽子は彼のサタン崇拝を意味するものではないか。
という三段論法的な推測が成り立つらしいのである。

まあ、「推測」ということであれば、確かにどんな推測も「成り立つ」かも知れない。
が、これに関してはさすがの私もこう思う。
「陰謀論頭もいい加減にしろ。」

この形の帽子は「Cappello romano (Roman hat)」と呼ばれ、カトリックの聖職者において伝統的なものだということである。Wikipedia





その「伝統」の奥から疑うというのなら、私は止めない。あなたは自由である。

これも参考にして下さい。「デイヴィッド・メイヤー牧師の識別
「参考に」です。事実は確認できませんから議論するつもりはありません。けれどもとにかく、人間の「判断」というものは、時に、よく確かめもせず「流れて」(オーバーランして)しまうことがあるのではありませんか?


例えばこれだって、
聞くところによるとその起源は(あるいはその応用は)サタニズムにありそうじゃないか。面倒だから訳さないけど、参照1参照2

しかしサタニストか?

サタニストか?

サタニストか?

誰でも子供の頃、皆と一緒に嬉しげにVサインを出したことがある筈だ。
その姿が写っている写真の一枚や二枚、今も持っている筈だ。
要するに、誰でもその本当の起源やら応用やらを知らずに ------- あるいは「知らされずに」「乗せられて」------- 無邪気に呑気にのほほんと、それを使うことがあるわけですよ。

ある人によると、皇太子のこの手の恰好は「デビルサイン」かも知れないということである。しかし、何かの拍子に手がこんなふうになることもあるのだし、万一そうでなかったとしても、上のような理由でこうなることもあるわけですよ。

私は恐れずに表示するが、教皇様のこういうのもね。

どのような拍子で、どのような動きの中で、このようなものが撮られたのか分からないし、もし教皇様が意図してこのような手の恰好を取ったのだとしても、なおその意味は分からないのです。言ったように、誰かに「これが最近の流行なので、ひとつ・・・」と言われて、無邪気に信じてやったのかも知れないし。

写真は半永久に残るものですよね。もしカトリックに敵が居るとして(居るに決まってますが)、その彼らが何らかの工夫によって教皇様に上のような恰好を取らせることに成功し、更にそれを報道陣のカメラに撮影させることに成功したならば、それはまさしく「成功」でありましょう。

これは決して自慢できることではないですが、カトリックの人間って、けっこう「のほほん」だったりします。それは「神の愛」を見ているからです。もちろん、それが悪い事である筈はありません。けれど、どこか甘くなるような傾向があります。一般の信者にしてそうだし、聖職者に至っては尚更です。彼らももちろん「神の愛」を見ています。そして、神学・・・アカデミックな人達です。世事に疎いようなところがあります。彼らはある方面において「迂闊」であり得ます。

世間にサービスするつもりのなかったであろう昔の教皇様達なら、例えば「隙」というもののない鋭い「闘士」であられたであろう聖ピオ十世教皇様なら、上のような写真を撮られる憂いはまずなかったでありましょう。現代は、教皇様と云えども、ついつい「マスメディア」というものを意識してしまい、ついつい「ちょっと世間にサービスしよか」というような心を刺激されてしまう時代です。教皇と云えども、あなたと同じ、私と同じ、「人間」であるわけですから。

しかし教皇様、こんなのは、まあ、要りませんでした..
いい餌に、いいネタにされるだけです。


ある人によると、この人達全てが「フリーメーソン流の握手」をしているのだそうです。http://apocalypsenow.jugem.jp/?eid=96
私はこの人に言いたい。
「どうか一度、ご自分自身の握手の仕方を点検してみて下さい。
あなた自身もフリーメーソンかも知れません。」


そして、私が基本的に尊敬しないでもない人までもが、次のような事を言っています。
  1. ファチマ預言を受けたルチアの名は Lúcia de Jesus dos Santos である。「Lúcia」は「ルシファー」のことを意味する。サタニックな陰謀家達は人々を騙すために子供という無邪気な存在をよく利用するのである。
  2. キリスト教のクリスマスの習慣はサタニズムから来たものだ。その証拠に、サンタは「Santa」であって、それは「Satan」のアルファベットを並べ変えただけの言葉だ。
誤解しないで下さい。私はこの人の検証と考察の全体すべてを評価しないのではありません。決してそうではありません。けれども、彼の検証と考察の流れの中で、時々こういう取るに足りないものが出て来るので、正直、ガッカリします。

1 に関して言えば、それはルチアの生国ポルトガルではごくありふれた名前でしょう。それは英語圏で言えば「Lucy」でしょう。それはもともと「光」を表わす名前でしょう。人間は、自分達にとって「光」は好ましいものなので、そのような名前を作ったのでしょう。だから、「光」と言えば直ぐに例外なく「光の堕天使」すなわち「ルシファー」を意味するわけではありません。日本におけるばかりでなく欧米においても「光子さん」は、その名前だけではルシファーと関係があるとは言えません。
また、ファチマの出来事において本当に演出家たる「陰謀家」達が居て、それらが故意に「ルチア」という名を持った少女を選んだか、あるいは選んだ子供にその「役名」を与えたかしたというどんな痕跡もありません。私は「陰謀検証」の世界に向かって「証拠を出せ」と言うほど野暮ではありません。しかし「証拠」はなくても何らかの「痕跡」程度のものはなければなりません。しかしこの「ルチア」の場合、痕跡はただ「ルチアもルシファーも光と関係した名前だ」というだけなのです。これは「痕跡」の名に値しません。

2 に関して言えば、私は、日本で「サンタさん」と呼ぶように、欧米でも「Santa」が、あたかもそれが固有名詞でもあるかのように、それだけで一人歩きしているかどうかを知りません。しかしそれにしても「Santa」はもともとは英語で言うところの「Saint」ではありませんか。「Santa Maria」は「Saint Mary」であり「聖マリア」であります。ですから、仮に欧米でも日本と同じようにクリスマスにおいて「Santa」が固有名詞のように使われているのだとしても(私はそれを知りません)、そしてそれが多少不自然に思えるのだとしても、もともとの「聖」を意味する「Santa」あるいは「Saint」という言葉が「Satan」から発生したということを確かめるまでは、「サンタさんの Santa はサタニズムから出たものだろう。Satan から来ているに違いない」などと言うのは、明らかに「オーバーラン」であります。(こりゃ駄目だ。取り消します。)

全体としてなかなか良い検証をしている人でも(そうです、誤解しないで下さい、私はそのように認めています)、時々こういうのが出て来ると非常にガッカリします。

一つのシグナルの「見誤り」は、「一つ」では済まないかも知れません。
慎重にやって下さい。


以上、「陰謀論頭」に関してでした。

 

【訂正】

しかし今、私は以下のように考えます。

サンタクロース、それは良いものではない。
それはキリスト教から生まれたものではない。
のみならず、確かに、それを発明した者たちにおいては「Santa」は「Satan」だったのかも知れない。
私は今、それを、その可能性を、認めます。
  1. サンタクロースが商業界から生まれたのは確か。
  2. サンタクロースの出現によって、多くの人々にとって、もちろん主として子供たちにとって、クリスマスは大いに変質した。「クリスマスとは何か」において。
  3. 単純に「それは商業家たちが仕掛けたものだった」と思うことはできない。
以上のように訂正し、お詫びします。(2011年7月)