「ルシファー」なんて言ったって、日本人の多くにとっては「キリスト教の概念」に過ぎない。あるいは、人類思想史を調べることが好きな人なら、「それはキリスト教以前の伝承から存在する」と言うかも知れない。しかしどちらにせよ、それは「概念」なのだ。
「概念」の面、「思想」の面しか考えない人は、己が心を決して次の質問に向けない -------「それは実在するのか?」
しかしあなたは、「それはキリスト教が言ってることだ」と言って片付ける代りに、「キリスト教の言ってるこれは本当なのか? それは現実に沿ったことなのか? それは実在か?」と問うこともできる。
そしてそうする時、それは真にあなたにとってあなた自身の問題に、そして現在の問題になる。