その言葉
ロック音楽の中に潜むサタニックなものを追及し暴露し、世人、特に音楽を愛する若者達に警告を発する良い仕事をしている一団がある。アメリカのプロテスタントの(と思う)人達が運営している Good Fight Ministries である。下は、彼らがトーリ・エイモスについて書いている主要記事。
注) 私は自分の英語力に自信がない。細かいニュアンスが分からないところは想像で補っているようなところがある。だから、私の翻訳(の名に値しない)は常に「大要を掴めるだけのもの」と考えて頂きたい。
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トーリ・エイモス
ビデオを見て下さい!
トーリ・エイモスは、キリスト教ばかりでなく彼女の造り主イエス・キリストをも馬鹿にする多くのことを言っている。彼女は次のようなことを言い、イエス・キリストを冒涜している。
「私は常にこう信じてきました。イエス・キリストはマリア・マグダレナ(マグダラのマリア)を実際に好きだったと。彼は彼女と性的な関係を持っていたに違いないと。私は、イエスとしたい、という考えで罪悪感を感じていたのかも知れません。」
(訳註: 同様趣旨の発言 参照1 参照2)
トーリは、自分にはキリスト教に対する使命がある、と明言した。
「ええ、私にはまさに一つの使命があると思っています」とトーリは言った。「キリスト教の暗い面を暴くというね。」
(訳註: ビデオにもあったように、1998年における Rolling Stone 誌とのインタビューでの発言であるらしい。参照)
しかし、トーリが暴くことの出来たキリスト教の暗い面 (dark side) とは、彼女が上記のイエスとマリア・マグダレナについてのような嘘によって、あるいは下記の彼女の音楽の幾つかについての彼女の言及に見られるような歪んだ冒涜によって、神の真理に余計な何かを付け加えたり、それをねじ曲げたりすることで、それに被らせようと試みてきたキリスト教の目の周りの打撲痕 (black eye) であるに過ぎない。
「なぜ人々はフェラチオされている神のことについて聞きたがらないのかしら。私は、ボーン・アゲイン・クリスチャンならそれが好きなはずだと思ったのだけれど。」
(訳注: 同上)
トーリは彼女の多くのファンを永遠の滅びに導いている非常に混乱した若い女性である。トーリは、彼女をその道徳的腐敗から救うために尊い御血を流し給うたキリストを拒絶している。彼女は彼女の歌「Spark」の中で、自分はむしろ裏切者イスカリオテのユダになりたい(それと立場を同じくしたい; would rather identify with) と言っている。
「もし神のマスタープランが完全であるなら、たぶん次に、私はユダにトライするだろう。(If the divine master plan is perfection, maybe next I'll give Judas a try.)」
(訳註: 歌詞)
彼女はそのようにユダと同調した発言をしたばかりでなく、サタンとより親密な関係を持ちたいとの望みや、サタンが彼女の音楽とその一時的な成功に力を与えたことなどを認めている。
「私はルシファーと結婚したいと思いました。私はルシファーが邪悪な力だとは思っていません。私は彼の音楽と共に彼の存在を感じます。あたかも彼が来て私のピアノに坐っているかのように。」
(訳註: ビデオにもあったように、1996年における Spin 誌とのインタビューでの発言であるらしい。参照)
私達はトーリの音楽から離れていなければならない。そして、彼女の霊魂のために、神が彼女に悔悛の恵みを与えて下さるように祈らなければならない。トーリが悔悛することはありそうもないとしても、イエスはユダにさえ、彼が自殺する前に悔悛する機会をお与えになった。しかし、それには遅過ぎ、彼は地獄の「彼自身の場所(自分の行くべき所)」(使徒行録 1:25)に行ったのである。イエスは「滅びの子」としてのユダに言及され、その人はむしろ生まれなかった方が良かったであろうと明言なさった(マタイ 26:24)。ユダにとって、それはなんと痛ましい永遠の遺産であることか。そしてトーリの場合も、もし彼女がイエス・キリストの方を振り向いて己が罪を悔悟することを拒絶するならば、同様となるであろう。これはまた、トーリ・エイモスによって騙され、ユダの足跡に従うことを選び、彼らの罪のための代償の内に死に給うた人(イエス・キリスト)を拒絶する全ての人にとっても、同じ墓碑銘となるであろう。あなたは選択する。あなたは、イエス・キリストを受け入れ、彼があなたのためにあなたが受けるべきであった罰をあなたに代って十字架上で受け給うた代償を受け入れることもできるし、あるいは、決して渇きの癒されることのない、昼夜を問わず永遠に安息することのない場所である火の湖で、永遠に、永遠に苦悩するという天罰を自分で支払うこともできる。もしキリストの方に振り向くことを拒絶するなら、あなたは永遠に亘って呻吟するであろう。そしてその時、あなたは自分自身の他、その責任を帰すべき何ものも持たないであろう。レッド・ツェッペリンの歌のように -------「それは誰の罪でもない、俺の罪なのさ」(訳註: Nobody's Fault But Mine - 歌詞)。
親愛なる読者の皆さん。私達の真剣な望みと熱い祈りは、あなたが主イエス・キリストの愛を受け入れ、彼の幸いな王国で永遠の生命を楽しむことです。
--- END ---
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さて、冒頭のビデオをご覧になった方なら、トーリもまたあの「不思議な目隠し」(私は付け加えておいた)をしていることに気づいたでしょう。
infection の PV の時(の先入観)と同じように、「これは当然、曲の内容と関係があるのだろう」と考えますか?
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次は spinner というサイトにおけるインタビュー記事(ココ、あるいはそのコピーがココにある)から。トーリはこんなことを言っている。
* ちなみに、文中の「Father Lucifer」とは彼女の曲のことである!
私のお気に入りの思い出、この事をお話したら失礼します。私の父のことですが、彼が Father Lucifer を聴いたのは、彼が教会から帰って来てからのことでした。彼はフォークを下ろして ------- テーブルの周りには皆が居ましたが ------- こう言ったのです、「トーリ・エレン、私は、君が私に関するこれをどのようにして書くことができたのか分からないよ。どうやってそれができたんだね?」。私は言いました、「何のこと?」。彼は言いました、「Father Lucifer のことだよ」。私は言いました、「ワォ、お父さん、なんてこと。違うのよ。私がハワイに居た時のことよ。私はそこでエクスタシー旅行 (ecstasy journey) の中に居て、ホノルルのノースショアの浜辺で、48時間のルシファーとの熱い情事 (a torrid love affair with Lucifer for 48 hours) を経験したってことなの」。そしたら、父が言いました、「そうか、イエスを誉め称えよ! 私は今、とても良い気分だよ。そうか、良かった。ホッとしたよ」。
2010年11月8日
上の文章で、「Well, praise Jesus! I feel so much better now.」、これを文字通りに受け取ってしまい、「そうか、イエスを誉め称えよ! 私は今、とても良い気分だよ」などと訳してしまったが、上のように訂正した。
「Praise Jesus!」というのは「Oh, my God!」と同じく慣用句なのではないか、と思いついたのである。きっとそうだろう。娘からルシファーのように思われているのではないかと心配していた父親が真実を知ってホッとした、という構図だろう。
英語に詳しくないのに訳すからこうなる。ああ、恥ずかしい。まだ確かなことは分からないが、一応訂正しておく。
また、トーリの父親はメソジストの牧師だった人だが、私は別の記事で知ったのだが、彼は自分の娘が「ルシファー」について肯定的に歌ったりグノーシス主義に傾倒していたりすることで、心を痛めていたらしい。また、まっとうなメソジストの牧師なら当然だが、娘の勧めにもかかわらず、グノーシス派聖書を手に取ろうとはしなかったらしい。現在もそうだろう。
なので、「どうかしている」というのは私の誤解でした。取り消すと共に、トーリのお父さんにお詫びします。
トーリと父親 Edison Amos
1998年2月22日、彼は娘への愛のため、おそらくは異教的であるだろう娘の結婚式に出席した。いつの日か、彼の悲しみが癒されますように。私が英語力に自信がないことは既に白状した。上の訳には問題があるかも知れない。けれど、トーリが「私はかつて、或る時、エクスタシー旅行の中で、ルシファーとの48時間の熱い情事の中に居た」と認めたということは、私の英語力の危うさに関わらず、確かだろう。