6.参考
おさなごの目の方がよほど確かである
今回の一連の記事を書きながら、私はもちろん、いろいろと検索したわけだが、その途中、「ある教会」の奇異なることに気づいた人がほかにもあることを発見した。
その人は慎重な人で、そのように教会名を伏せていたりするから、その記事をあまり宣伝して欲しくないかも知れない。しかし、紹介させてもらう。
その人は慎重な人で、そのように教会名を伏せていたりするから、その記事をあまり宣伝して欲しくないかも知れない。しかし、紹介させてもらう。
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ある教会 = 大阪梅田教会、である。
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彼は可愛いお子さんをお持ちだ。この子に福いあれ。
(でも、もう連れて行かないでね) |
松浦補佐司教様、菊地司教様、このような事に関しては、おさなごの目の方が、あなた方の目より、よほど確かではありませんか!
第二の記事。これは大阪梅田教会に関してではなく、大阪カテドラルに関しての記事である。
この図柄(左)が大阪カテドラルの「最も聖なる場所」にあるというのである。
この図柄(左)が大阪カテドラルの「最も聖なる場所」にあるというのである。
「三角形の中に目がかかれているのは、必ずしも、フリーメーソンのシンボルとは限りません」とは、聖ピオ十世会の小野田神父様の言である(参照)。私も一応はその通りなのだろうと思う。
しかし、大阪はこれほどのもの(大阪梅田教会)を持つに至ったのである。だから、私はやはり、カテドラルにあるその図柄もフリーメイソンのものである可能性が高いように思う。
というのは、あらゆる物事はそれ単独で起こらず、仏教的な言い方になるが、必ず他のものとの「縁」を通じて起こるものだからである。大阪梅田教会、この小振りだが質としては世界レベルの(Sinister Sites への登録に値する)フリーメイソンの記念碑も、自身にとって何の「縁もゆかりもない」場所に、ある日突然、降って湧いたように建つことはできなかっただろう。
コメント欄にそれをうかがわせるものがある。人はそれを「未確認情報」と言うかも知れない。しかし、人は未確認情報からでも警戒を覚えるべきである。
このページの冒頭で「大阪大司教区は『持たされた』のである」と書いたが、その読者コメントが示唆するように、大阪大司教区にそれを持たした者は、外国に居る者、あるいは大阪大司教区外に居る者とは限らないのではないだろうか。
大阪大司教区は「持たされた」のではなく、自ら進んで「持った」のかも知れない。
私も、「事実性を超えて、いたずらに不安を煽る」ことはあまりしたくないが、それでも、ここに一つの質問を置いて、この一連の記事を終えようと思う。
「大阪大司教区には何が居るのか?」