2012年4月26日

暗黒の三日間

カトリックの私的啓示に「暗黒の三日間(Three Days of Darkness)」というものがある。かなり多くの幻視者が異口同音に言っているから、天国からの真正な通信である可能性が高いのではないかと思う。
しかし、たとえそうだとしても「預言は条件的なもの」であるから、そして、その預言の内容はあまりに酷いから、私は「神様、なんとかそのような事にならないようにお願いします」と思う。
その預言の内容の酷さの一つは、地獄の悪魔・悪霊が地上に出て来て、しかも私達の肉の目に映じる姿で暴れまくるというものである。
もっとも、これは「暗黒の三日間」に言及した全ての聖人と幻視者が言っている事ではないけれども。
それを言っている一人は、福者アンナ・マリア・タイギである。
大気はあらゆる醜悪な姿で現われた悪霊らによって汚染されるでしょう。
The air shall be infected by demons who will appear under all sorts of hideous forms.
別の一人は、神秘家マリー = ジュリー・ジェニーである。
その暗闇が続く間、悪魔達と悪人達は最も醜悪な姿をしているでしょう。
During this darkness the devils and the wicked will take on the most hideous shapes.
暗黒の三日間について言ったものかどうかは分からないが、福者エリザベト・カノリ・モラという人も似たようなことを言っている。
私は、地球に暗く恐ろしい巣窟があるのを見た。そこから無数の悪魔達が出て来て、人間や野獣の形のもとで、地上を破壊しに来ては、全てあらゆる所で荒廃と流血とを残していた。
I saw in the bowels of the earth a dark and frightening cavern, whence an infinite number of demons were issuing forth, who under the form of men and beasts came to ravage the earth, leaving everywhere ruins and blood.
福者モラの言葉はちょっと別にして、福者タイギと神秘家ジェニーの言葉は確かに「地上の人間の目に映じる形で出て来る」という意味だと思う。まずは言葉として、そうだと思う。
しかし... さすがの私も(?)「そんな事があっていいものか」と思う。そんな悲惨な、そんなグロテスクな、正にオカルト映画そのもののような現象が、この私達の世界で起こっていいのかと。
それに、私にとっても「霊」はまだ「霊」である。つまり、それはまだ基本的に「肉の目に映じない」筈のものである。この理由によっても、私は「そんな事が?」と思う。
既に肉の目に映じているではないか
しかし、私は前回の「宇宙人」のことを思い出す。
その記事にあった研究家達も、また私が個人的に信じている「ベイサイドの啓示」も、いわゆるUFOや「宇宙人」のことを「悪霊」と結びつけているのである。
そして、考えてみれば、その悪霊的なもの、UFOや「宇宙人」は、既に私達の肉の目に映じているではないか
ベイサイドのイエズス様のお言葉を確認してみる。
それらは地獄の輸送機関である。しかしながら、わが子よ、私達は悪霊を人間の形を持ったものとしては見てこなかった、霊を通しての他は見てこなかったのである。あなた方が今あなた方の世界に見ているものは、人類の罪の故に全地獄が地の上に緩められた姿である。
They are transports from hell. However, We have never seen a demon, My child, who has taken on a human form, except through the spirit. What you have now, because of the sins of mankind, all hell is loosed upon earth.
(第三文の訳がちょっと間違っているだろうか。しかし、大きくは間違っていないだろう。)
このお言葉は、先ず「悪霊の可視性・視認性」について言っている。「昔とは状況が変わりつつある。昔はそれはまったく invisible なものであったが、今は少なくともその一部が visible なものになっている」と。
そして次に、「それは地獄が地上に緩められた姿である」と。
だから、このイエズス様のお言葉と、福者タイギの言葉と、神秘家ジェニーの言葉は、次の二つの要素を共有しているのである。
1.それらは地獄が緩められて出て来ている(出て来るだろう)。
2.それらはあなた方の肉の目に映じている(映じるだろう)。
だから、もし本当にそのようなことがあるなら、その時、その中には左の写真のようなものも居るかも知れない。(もっとも、「暗黒の三日間」の預言では、そんなものを見てはならないことになっているが。)
さて、話は少し変わるが、数多ある「宇宙人」の画像の中からこれを選んだのには理由がある。この本の著者である ホイットリー・ストリーバー という人は、何ということだ、カトリック教徒なのである。もちろん「名簿上の」という枕詞を忘れるべきでない。しかし、ともかく世界の皆さんにお詫びする。
彼は吸血鬼などを材料としたホラー小説を書く人である。そして、私はこのたび初めて知ったのだが、彼は超有名な「UFOアブダクティー(UFOによる誘拐被害者)」でもある。そして、私は彼の体験を少しだけ読んだのだが、彼はそれ(宇宙人か何なのか彼自身もよく分からないもの)のことを死ぬほど恐れたくせに、文字通り発狂寸前まで追い込まれたくせに、結局、謎の魅力に取り込まれたのである。
そして彼は、自分のそれらの特異な体験にインスパイアされて(すなわち真実のところ悪霊にインスパイアされて)、『デイ・アフター・トゥモロー』だの『2012年』だのといった小説を書き、そしてそれらはハリウッドによって映画化され、世界に流されたのである。
彼の妻、アン・ストリーバーもカトリック信者のようである。
彼はインタビューで次のようなことを話している。2012年2月14日の記事。
カトリック信者として、あなたの作品に対する教会の反応をどう思いますか? もし何かあれば。
ホイットリー: それは教会のどの部分であるかで違って来ます。ヨハネ・パウロ教皇様は、概して、この主題に興味を持っておられました。それで私達は、彼と親しい一人の人とのバチカンでの個人的な面談に招かれたのです。私達は私達の経験についてお話ししました。ベネディクト教皇様は明らかに興味を持っておられないか、持っておられてもほんの少しのようです。サン・アントニオ〔ホイットリーの故郷〕で私が知っている司祭と修道士方は、私にまったく心を開いてくれています。私が嘘つきでも頭のいかれた人間でもないということをよく知っているからです。それはここサンタモニカでは一つの異説であるわけですが。
私達がここ〔サンタモニカ〕に引越して来た時、私達は地元の教会、聖モニカ教会で活動的になろうとしました。私達は新入教区民のミーティングに行き、いろいろなプロジェクトのためのボランティアとして自分達を差し出しました。〔しかし〕彼らは私達を取り合いませんでした。明らかに彼らは、『コミュニオン』が或る種の異端的な本だと思い込んでしまったのです。そのタイトルと表紙の絵のために。もちろん、その本は信仰とはまったく無関係です。聖モニカ教会のモットーは「全ての人を歓迎します」です。しかし、ホイットリーとアンのストリーバー夫妻は別というわけです。だから、私達は今、活動中のカトリック教徒ではありません。活動する教区を持っていないのです。
As Catholics, how do you feel the Church has reacted to your work, if at all?
Whitley: It depends on what part of the church. Pope John-Paul was interested in the subject in general, so we were invited to a private meeting with one of his confidants in the Vatican. We talked about our experiences. Pope Benedict apparently is not interested, or little interested. The priests and brothers I know in San Antonio are very open minded about me because they know me well enough to know that I am no liar and not a nut. It's a different story here in Santa Monica.
When we moved here, we attempted to become active in the local parish, St. Monica's. We went to the new parishioner meetings and offered ourselves as volunteers for all sorts of projects. They would have nothing to do with us. Apparently, they assumed that Communion was some sort of heretical book because of the title and the picture on the cover. Of course, it is not about religion at all. St. Monica's motto is "all are welcome." But not Whitley and Anne Strieber. So we are not practicing Catholics at this time. We have no parish in which to practice.
彼は不満げである。しかし、ここは教区民達の素朴な反応の方が正しい。(結果的にであろうと。)
彼は若い頃、おそらくUFOアブダクションに遭う前、カトリック信者でありながらグルジェフやウスペンスキーなどの思想にかぶれ、その思想を奉じ実践する瞑想センターに所属していた。だから、前回の記事の「誘拐被害者達の人生において、誘拐とオカルト実践との間の高い相関関係が見られる」という指摘は、ホイットリー・ストリーバーにおいて正しいわけである。

2012年4月14日

UFO: 終末の時代における大きな偽装の一部

文中の画像、下線、括弧の一部、* は管理人による付加
UFO
終末の時代における大きな偽装の一部
「この最後の戦いにおいて、地上に解き放たれた多くの地獄のエージェント達が居ます。彼らは乗り物で旅しています。天空の向こう側、神の王国ではない場所にも生命があるなどという偽の理論に説き伏せられてはなりません。あなた方の眼前に現われているそれらの乗り物を送っているのはサタンであると知りなさい。それらはあなた方を混乱させ、物事を取り違えさせるためのものです。あなた方の地球の上空を横切っているそれらの物体は地獄からのものです。それらはあなた方の時代における偽の奇跡*であるに過ぎません。
「私の子供達よ、それが何であるかを知りなさい。それは人間の想像力の所産ではありません。それらはあなた方の大気中に存在しています。そしてそれらは、霊魂のための戦いが進むにつれて、ますます現われ方が顕著になるでしょう。」
--  1973年12月24日、ベイサイドの聖母
* miracles: 一応「奇跡」としておくが、あるいは「不思議」とか「驚異」とかにした方がいいのかも知れない。何故なら、信仰者にとっては「奇跡」とは神との結びつきで考えられるものだし、片やUFOを信じる人達にとってはUFO現象は「科学的」なものであって「奇跡」とは何の関係もないだろうから。しかし、ここは言葉への感覚を少し広く持って、「奇跡」としておく。
2月24日*の「ピーター・ジェニングス・レポート: UFO --- 見ることは信ずること」は、このUFO現象なるものに新たな観察を加えた。ジェニングスは言う、「私は一人のジャーナリストとして、一つには健康的な程度の懐疑的な姿勢、そしてもう一つには出来るだけ心を開くという態度、この二つをもってこの番組を始めました。科学者、調査者、そして未確認飛行物体を見たと主張する多くの人々との殆ど150にも及ぶインタビューを終えた後でも、完全には解答されない疑問、よく説明できない多くの事柄が残りました。」
* おそらく2005年
単なる自然的な力を超えたもの
フランスの科学者ピエール・ゲラン博士は、「UFOの振る舞いは、私達が知っている物理学よりも魔術の方に近い。(…)現代のUFO搭乗員と過去の時代が言う悪霊はおそらく同じものである」と主張している。(Dr. Pierre Guerin , FSR Vol. 25 , No. 1)
物理学とUFOの振る舞いは確かにかみ合わない。私はハイスクールで物理学を教える一人の教師を知っているが、彼はある時、非常に満足げな様子で「私はUFOなんて存在しないと証明できる」と言ったものである。彼は質量・速度・時間と相関する力に関する物理学公式を書いた。そして、幾つかのUFO目撃例では途方もないスピードでの瞬間的なヘアピン・ターンあるいは直角のターンが報告されていることに言及した。彼は、そのような高速での瞬間的なターンは実質的に無限と等しいほどのあまりにも大きなエネルギーを必要とする、と説明した。搭乗員にかかる重力もまたグラフに描けないほどのものであるとも。従って、それらの乗り物の振る舞いは物理法則を破っており、物理法則を破ることのできる自然的な力など一つも無いのであるから、それらの乗り物は現実のものではない、と彼は結論した。
これらのUFOが単に自然的なものだったなら、彼は正しかったことだろう。しかし、本当のところは、これらのUFOは物理学の自然法則に拘束されない悪魔的な現象なのである。
当サイト(TLDM)は、1953年にカリフォルニアのサンカルロスで起きた目撃事件について聞き及んだ。そこでは3機のUFOが信じられないほどのスピードで飛行し、即時に停止し、45度のターンをした。その家族の父親は海軍のレーダー部門の教官だったが、彼は、そのUFOはその即時の停止をする直前までおよそ時速1000マイル(およそ時速1600キロメートル)で飛行していた、と見積もった。物理法則からすれば、これはただただあり得ないことである。
「神は居ない  There is no God」
「神は居ない」
報告された数多くのUFOによる誘拐事件の中に、バーニーとベティのヒル夫妻の事例がある。1961年9月19日、ニューハンプシャー州在住のこの中年のカップルは、休暇から家に帰る途中、夜遅くホワイトマウンテンを車で通過中だった。そこで彼らは一機のUFOに遭遇した。伝えられるところによると、その宇宙人(alien)は彼らをUFOに乗せ、彼らを徹底的に医学的に調べたそうである。
誘拐の物語はヒル夫妻の顕在意識が覚えていたものではなく、後に催眠法を使う精神科医ベンジャミン・サイモン博士によって引き出されたものである。彼らの恐ろしい回想の中から出て来た多くの詳細の中に、「宇宙人」の一人がベティに言ったという一つの声明がある。曰く、「神は居ない」。彼らの誘拐事件はテレビ映画にもなった。
「宇宙人」の持つ反神的な(anti-God)メンタリティのもう一つの例が、プロジェクト・ブルーブック*の元機関長、退役した空軍中佐であるロバート・フレンドによって語られている。
* Project Bluebook: 1952年から1969年にかけて実際に活動した米空軍のUFO研究セクション。
「海軍の二人の情報将校が、地球外生命体と接触していると主張するある婦人を調査するために送られました。催眠状態になった後、彼女は、彼女に向けられた科学的で技術的な質問に難なく答えたといいます。それからその婦人は、その地球外生命体は彼ら二人の内の一人を通じて直接コミュニケイトする用意がある、と彼らに言いました。そして、一方の将校が質問し、他方の将校がそれに答えるという中で、それは起きました。質問する側の将校が地球外生命体に向けた質問の一つは、『あなた方は宗教的なグループが好きですか?』というものでした。答えは『ノー』でした。自分達が宇宙船を見ることができるかどうかを尋ねた時、彼らは窓の傍に行って外を見るようにと言われました。彼らはそうしました。そして一機のUFOを観察しました。彼らはレーダーを確認するために問い合わせました。すると、その時その地域を映すレーダーの一つの四分円(quadrant)の範囲が機能していなかった(was blanked out; 消されていた)との回答を得たのです。」
悪魔的なものであることを示す徴候
主イエズスの聖名で逃げる*
あるクリスチャンのコメンテーターはUFOに関して次のように言っている。「この円盤(saucer)はとても大きなものです。私の友人の一人は、彼らの聖なる山の一つでそれに遭遇しました。それは彼の家の上に来ました。そして、彼は言いました、『主イエズス・キリストの聖名によりて、去れ』。すると、それは消えたのです。」
大天使聖ミカエルへの祈りで逃げる
カナダのアルバータに住む、あるカトリックの家族。彼らは私達に、UFOとの何度かの遭遇について話した。ある日、彼らの息子の一人が外で遊んでいる時、UFOが近づいて来るのを見た。その子が聖ミカエルへの祈りを唱えると、そのUFOは直ぐに逃げ去った
天使祝詞で逃げる
同じ家族の母親は、ある晩彼女の寝室の窓の外が非常に明るく照らされたために目が覚めたことを回想した。そして、彼女の部屋の中に一つの生き物が現われたことも。その瞬間、彼女は体が麻痺してしまい、彼女の夫を起こすために動くことも声をあげることもできなかった。しかし、彼女が心の内で「めでたし**」を唱えた時、その生き物は、そしてUFOも同様に、直ちに消えたのだった
* ここの三つの小題は管理人が喜んで付加したものですw
** 天使祝詞
この麻痺は、誘拐と誘拐未遂の多くにおいて、共通に報告されている。UFOによる誘拐に関する或る本は次のように言っている。「このプロセスの初期の或る時点において、体験者[誘拐被害者]達は、自分達がその存在(beings)の手によって、あるいはそれが持つ器具によって触られた時、自分が無感覚になったことに、あるいは完全に麻痺してしまったことに気づく。」
幾らかの「誘拐被害者達は、あたかも自分の心の内容がすっかり知られてしまったかのように、更にはあたかも『抜き取られた』かのようにさえ感ずる」。別の被害者らは、「宇宙人」は思いのままに姿を変えることができる、と報告している。「宇宙人達は完璧な変身能力を持っているようであり、誘拐被害者達の前に最初に現われる時、しばしば動物の姿を取る。フクロウ、ワシ、アライグマ、そして鹿などは、被害者達が最初に見る動物である。」
あるメソジストの女性は、誘拐に遭った後、「自分の体が何者かに、あるいは何かにコントロールされているかのような、まるで悪霊に『憑依』[彼女自身の言葉]でもされているかのような」夢を繰り返し見る、と報告している。
別の被害者は、宇宙人が宇宙人の姿を取る前の「光る生き物」を、「ぼんやりとした黄色い天使の形」を回想している。「その生き物はただ光の形をしていました。光の中から出て来たのです」。全くもって、人はもし少しの洞察力と聖書的知識があれば、そこで聖パウロの言葉を即座に思い出すこと以外のことはしないだろうに。「サタン自身、光の天使を装う」(第2コリント 11:14)
侵入的な、レイプのような行動も、誘拐被害者の多くによって報告されている。明らかに、これらの「宇宙人」達は友好的ではない。
誘拐被害者達の人生において、誘拐とオカルト実践との間の高い相関関係が見られるようである。多くの「UFO調査者達は、コンタクトや誘拐を継続的に経験している殆ど全ての人達の(あるいはその親達の)人生の中に先行してあるオカルト実践が広く見られる、という事実を取り繕うのが好き」なようである。そしてまた、UFOの「宇宙人」とニューエイジ・オカルト・ムーブメントは、世界政府や世界宗教のような、多くの類似したゴールを持つ。ジョン・ケールは次のように観察している。
「スペースピープル達からの際限のないメッセージは今や図書館を満杯にするほどである。そして、その交信者達は自分は何らかの他世界の代表であると主張するけれども、それらのメッセージの内容は霊媒や神秘主義者らによって古くから受け取られて来たメッセージと同じである。」
(Operation Trojan Horse, John Keel, p. 183)
ジョン・ケールはこうも書いている。
「UFO現象は、概して、昔から有る悪魔的(demonological)現象の単なるマイナーなバリエーションのように思える。」(同書 p. 299)
このようなものはニューエイジ研究専門家のコンスタンス・カンベイの信念でもある。彼女は Southwest Radio Church のインタビューで名指しで「ベイサイドの啓示」について触れている。彼女は、ベイサイド・メッセージの中に見られる警告は彼女自身の研究結果と似ている、と認めている。
目的: 世界的な偽装と反キリストの到来
使徒達がイエズスに、主の再臨の徴候は何ですか、そして世の終りの徴候は何ですかと尋ねた時、イエズスはお答えになった。
「あなた達は人に迷わされないように気をつけよ。多くの人が私の名を語り、『私こそキリストだ』と言って、夥しい数の人を迷わすだろう。また、戦争や戦争の噂を聞くだろう。だが、心を騒がすことはない。そうなっても、しかしまだ世の終りではない。『民は民に、国は国に逆らって立ち』、諸方に飢饉と地震とがあるだろう。だが、これらはみな、生みの苦しみの初めでしかない。(…)その時、あなた達は、『そら、ここにキリストが! あそこにキリストが!』と言われても信じてはならない。偽キリストや偽預言者達が起って、できるものなら選ばれた人達をさえ迷わすほどの偉大なしるしや奇跡を見せるだろう。今、私は、あらかじめこの事をあなた達に知らせる。」(聖マテオ 24:4-8, 23-25)
聖パウロは、棄教が、大いなる背教が起こらないうちは、主の日は来ない、と警告している。
「誰が何をしても、あなた達は騙されるな。それより先に、棄教のことがあり、罪の人、亡びの子が、神の聖所にすわり、自分を神として示し、神と称えられるもの、崇敬されるものの上に、自分を立てる反逆者として現われるまで〔主の日は来ない〕。」(第2テサロニケ 2:3-4)
薔薇の聖母(=ベイサイドの聖母)のメッセージは何度も、これらのUFOはサタンの偽の奇跡だと言っている。もし他の惑星に生命があったなら、聖書はその事を私達に教えていただろうとも。
「私は再びあなた方に、『宇宙の他の惑星にも生命がある』と主張する地獄の深みから上がって来ているそれらの声に耳傾けないようにと警告する。わが子らよ、それは真実ではない。もし別の場所に生命があったなら、私は生命の書(=聖書)の中であなた方にそのように教えていたであろう。わが子らよ、あなた方の地上における戦いは大荒れに荒れたものになるだろうことを知っておきなさい。サタンは多くの偽の奇跡を作ろうとしている。そしてその一つが、あなた方が『UFO』と呼ぶところの超自然的現象なのである。」(1978年3月25日、イエズス)
「あなた方が怪しんでいるUFOというものはサタンの計画の一部である。それらは『他の惑星にも生命がある』という謬説を促進するための偽のイメージ*である。そこに生命は無い。私は地球の上にだけ生命を創ったのだから。」(1978年2月10日、イエズス)
* この「images」という言葉にあまり引っかからないで頂きたい。一方でベイサイドの聖母が「それは人間の想像力の所産ではなく、あなた方の大気中に実在している」と言い、他方でベイサイドのイエズスが「それはイメージである」と言うのであれば、矛盾しているではないか、などと。
矛盾ではないだろう。人工物は必ず「実在」であると同時に「イメージ」でもある。例えば芸術作品を考えてみれば良い。ある一つの石像なら石像は、「実在」するものであると同時に、作者が意図した「イメージ」でもある。
デイヴィッド・アレン・ルイスは、これらの「宇宙人」達は彼らが近い将来人類の歴史に介入するつもりであるということをはっきりと表出している、と書いている。ルイス氏は「彼らは或る一人の人間を選び、その者に超人的な力と知識を授けるだろう。その者は我々を世界政府と世界平和に導くだろう」と言っている。(UFO: End Time Delusion, David Lewis, p. 46)
多くの人は、それはロード・マイトレーヤ(ニューエイジの反キリスト)のことだろうと考えている。その者は、聖書が予言しているように、悪魔的な力を使いながらこれらの「宇宙人」達と人類とを結ぶ、完全な知恵を持った「大使」として振る舞うかも知れない。「悪の者はサタンの力に従って現われ、力のしるしと偽りの不思議をすべておこなう」(第2テサロニケ 2:9)
あるクリスチャンのウェブサイトが言っているように、「この偽装はあまりにも素晴らしく映るので、人々の心は文字通り『吹き飛ばされる』だろう」。
聖母 -- 「しかし、私の子よ、全ての人は警戒していなければなりません。何故なら、この偽装の男があなた方を数字を使って偽装の道の上に導き、それによって彼が人類にとって認識可能となる時、彼は徳のある人物のふりをしているからです。彼は一人の羊として汚れのないローブを身にまとっているでしょう。しかし、私の子よ、彼の心の内をよくご覧なさい。」
ヴェロニカ -- おお、穴の中、その下の方に、恐ろしい、黒く見える、醜いものが居るのが見えます。私が見ているのは彼の内面です。... 彼は ... 彼は清くて人間的に見えます。しかし、実際は、それらのものの一つです。彼は、実際は、地獄の生き物です。
聖母 -- 「私の子よ、多くの人々が知らない一つの秘密を与えましょう。あなたはこれを人類に知らせなければなりません。その偽装の男は私の御子を真似ようとするでしょう。彼は多くの人々に彼がメシアだと信じさせるでしょう。あなたは今、メシアは御昇天の時と同じように天使の軍団を引き連れてお降りならずには来られることがない、ということを人々に知らせなければなりません。改めて繰り返します、私の子よ。その偽のメシアは地上で受け入れられない(訳注: 天主によって)でしょう。私の御子、イエズスだけがメシアであられるからです。彼は既にあなた方の地上を訪れておられますが(訳注: メッセージを伝えるために)、しかし戻られねばなりません(訳注: 天国の神の座に)。しかし、彼はやがては天国からお降りなられるでしょう。御昇天の時と同じように、しかし今度は聖人達の軍団と共に、子羊の御血で自らを浄めた者らと共に、天国からお降りなられるでしょう。」
--  1974年4月13日、ベイサイドの聖母
(了)
管理人
管理人が一番伝えたかったのは、やはり、「宇宙人」や「UFO」が、《主イエズスの聖名》によって、《大天使聖ミカエルへの祈り》によって、そして《天使祝詞》によって、逃げ去った、というところです。
その様は滑稽です。
しかし、多くの非クリスチャンにとっては、あるいはUFOを信じる人達にとっては、反対に、その話こそが滑稽に聞こえるでしょう。
それは巨大。いわゆる「母船」なら。
そしてそれは「金属的」。
そしてそれは「メカニカル」。
そしてそれは「超ハイテク」。
それが、ナニ?  カトリック信者という古いタイプの人種の
これまたひどく古くさい「信心」の祈りに怯えて逃げ去っただと?
なんてナンセンス!
・・・と思うでしょう。
私は、何と言おう。
何も言うまい。
ただ、こう言うに留めます。
「そんなもんなんだよ」
いや、もう少し言おう。
日本人は「UFOを疑う」ということにおいて「ハンデ」があるのである。
何故なら、日本人はキリスト教の観点を持たないからだ。
しかし、そのように言われると、多くの日本人は思うのである、
「キリスト教徒のキリスト教信仰など一つの固定観念でしかない」と。
そうして、そのような自分の考えこそ一つの固定観念あるいは先入観ではないかと十分に検討することがない。検討し切らない
何故なら、多くの人においては「求道者」や「探究者」になることが難しいからだ。多くの人は「眺める者」だ。
自分は「キリスト教徒」を見ているのであって「キリスト教」を見ているのではない、ということにも気づかない。
それで、話を戻せば、非キリスト教徒は「疑いの端緒」を持たないのである。
「疑う」というプロセスが始まるキッカケ、チャンスを持たないのである。
キリスト教が真理であるか否かを一時脇に置いても
とにかくキリスト教徒は、そのいわば「心理的チャンス」を持つのである。
「宇宙人」達が語る宇宙観が聖書の教える宇宙観とは違っているからである。
もう一度言う。
キリスト教が真理であるか否かを別にしても
そのようにキリスト教徒がUFOや「宇宙人」に対して疑いを持つキッカケを得ているということは、実に「大きな」ことである。
私はWebを眺める。
「UFO, 宇宙人, 悪霊」という言葉で検索してみる。
英語圏ではどれほど有効な、どれほど「深く」追及した記事があることか。
UFOs, aliens, demons
それに対して日本語圏では、どれほど有効な記事が少ないことか。
UFO, 宇宙人, 悪霊
それは何故か。もう一度言う。
何が「真理」であるかは別にしても、とにかく、
「疑いの契機」を与えるものを、日本人が十分に持たないからである。
私が黄色の下線を引いた部分のニュアンスを分かって頂けるだろうか。
私は単純にキリスト教やキリスト教徒の肩を持ちたいわけではないのである。
そうではなく、ここで言いたいのは、こうである。
1. 日本人(≒非キリスト教徒)も理知を持たないわけではない。勿論だ。
2. そして、西洋人(≒キリスト教徒)も、キリスト教という「固定観念」だけを持ち、そして理知を持たない ----- というわけではないのである、決して。これも当り前である。(しかし、キリスト教嫌いの人は、往々、この当り前さが分かっていない。「彼らは固定観念の塊だ」という正にその口が固定観念である。)
3. それ故、「疑うキッカケ」を持っているキリスト教徒の方が、この問題に関しては、おそらく有利なのである。(おそらく、断然、と言っていいほど。)
何故なら、彼らはそのキッカケを得て、「先入観の旅を始めることしかできない」のではなく、確かに、理知の旅を始めることができるからである。理知は持っていても、キッカケを十分に持たない日本人(≒非キリスト教徒)の方が、不利である。
この事を、「観察」の進んだWeb上の彼らの諸々の記事が証明しているのである。
そうして、結論的に書くが、
宇宙人に「良い宇宙人」と「悪い宇宙人」の別などありはしない。
参考
プロテスタント信者(仮名:リディアさん)の素朴な体験談のようだ。
サタンのわな『UFO・・・悪霊による現象!』
上と同じ逸話を含む英文記事: Did God create life on other planets?
そして、今日の記事の流れから: 白光真宏会は信ずべきものではない 3