8.偽装の芸術
それはブレーシア・カテドラルのレリーフと同種のものである
この比較表示で全てを理解する人はこの先を読む必要はありません。
ブレーシア
ブレーシアのレリーフにおいて、その「アート」における「表現」において、彼ら(Ecclesiastical Freemasonry)は多足のグロテスクな虫のようなものにピッケルのようなものを持たせ、パウロ6世教皇様の背後を襲わせたのである。
このレリーフには「L'attentato a Manila(The attempt at Manila)」というそれらしい題名が付けられているようだけれども、私達はこれがパウロ6世教皇様が被られた何らかの御苦難あるいは迫害を表わしていると考えることができない。パウロ6世教皇様に対する同情的な表現と見ることができない。
これも同様である。このような「表現」を、教皇様の何らかの御苦しみに対する同情心から出たものだと考えることはできない。
この一連の作品は、主イエズス、善天使たち(あるいは聖人たち)、教皇様、そして神の兵士などを、弱く頼りなげなものとして描いたが、私達はそれを天主の陣営の御苦労に対する同情的な表現と見ることができない。
何故ならば、その作品の「頂点」に位置する場所に、
「神ならぬ者」の顔が堂々と描かれているからである。
「神ならぬ者」の顔が堂々と描かれているからである。
それ故、この作品は天主の陣営に対する同情的な作品などでは決してなく、それとは正反対に「嘲笑的」な作品であり、彼らの勝手な「勝利宣言」と「力の誇示」の作品であると断定できる。
大阪梅田教会
大阪梅田教会の「ヤシの実の聖家族」と「剣」(私は剣と信じて疑わないが)の組み合わせにしても、まったく同様である。
聖家族はおびえているように見えるが、この作品はそれに同情したものではない。それとは正反対に、「嘲笑」し、「愚弄」したものである。
それ故、こう言える。この「ヤシの実の聖家族」に関してだけ特に好意的に見なければならない理由など、どこにもない。
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彼らはピッケルをあしらい、また剣をあしらい、天国の陣営が苦しむ様を表示するが、それは同情からではなく悪意からである。これらは同種のもの。
大阪梅田教会の外観の構図
もはや説明不要である。
ペテンの芸術
とんだ「聖家族教会」もあったもんである。
彼らは聖家族を愚弄するためにこそ、この教会を作ったのである。
人はこの世にそのような種類の悪があるのを知らなければならない。
それは表向き善を装いながら裏で嗤う式の悪意である。
彼らは聖家族を愚弄するためにこそ、この教会を作ったのである。
人はこの世にそのような種類の悪があるのを知らなければならない。
それは表向き善を装いながら裏で嗤う式の悪意である。
サタンは Father of Lies(嘘の父)、
また別名 Father of Deception(偽装の父、ペテンの父)である。
また別名 Father of Deception(偽装の父、ペテンの父)である。
だから、人はもし、この地上に彼の息のかかった者らが存在することは現実的なことであると考えるならば、その時当然、この地上に「偽装の芸術」「ペテンの芸術」というものがある可能性をも視野に入れなければならない。
しかし、今、それは「可能性」ではない。
私達はその見本を、実例を、
ブレーシアの中に、そしてこの大阪梅田教会の中に、
まざまざと見たのである。
私達はその見本を、実例を、
ブレーシアの中に、そしてこの大阪梅田教会の中に、
まざまざと見たのである。