A. 音楽雑誌『papyrus(パピルス)』2011年4月号での鬼束さんの回想の一節
異変に気づいたのは、セカントアルバム『This Armor』を発表して、二度目の全国ツアーを行っていた二〇〇二年のこと。当時はそれこそ、寝る暇もないくらいめちゃくちゃ忙しい日々を送っていたから、少しくらい眠れなくても深刻には思っていなかった。疲れすぎて逆に眠れないことは、よくあるものだし。だけどそれが、一日、二日の話じゃなくなってきた。体は疲れ切っているのに、来る日も来る日も深い眠りが訪れない……。
「なんか眠れないんだよね、最近」
スタッフにぼやいていた矢先、世にも恐ろしい体験をした。ツアーのステージで幕が開いた瞬間、お客さんの顔がすべて悪魔に見えてしまったのだ! 逃げ出したい気持ちを必死にこらえて歌い続ける。同じような状況が、その後のライブでも立て続けに起こった。
「これ以上ステージに立つのが怖いんだけど」
私の訴えを聞いて、様子がおかしいと思ったプロデューサーが調べてみると、それはパニック・ディスオーダー(パニック障害)の症状のひとつだという。そしてその病気は、不眠を併発しやすいということも判明した。
「なんか眠れないんだよね、最近」
スタッフにぼやいていた矢先、世にも恐ろしい体験をした。ツアーのステージで幕が開いた瞬間、お客さんの顔がすべて悪魔に見えてしまったのだ! 逃げ出したい気持ちを必死にこらえて歌い続ける。同じような状況が、その後のライブでも立て続けに起こった。
「これ以上ステージに立つのが怖いんだけど」
私の訴えを聞いて、様子がおかしいと思ったプロデューサーが調べてみると、それはパニック・ディスオーダー(パニック障害)の症状のひとつだという。そしてその病気は、不眠を併発しやすいということも判明した。
B. 映画『エミリー・ローズ』より
▶ 別に遊びでこのような表示をしているわけではない。他者の人生と映画を安易に引き比べてオモチャにしているつもりはない。
私にとってはただ、「憑霊」は真面目に向かうべき問題なので。
私にとってはただ、「憑霊」は真面目に向かうべき問題なので。
一回目の「憑霊(Demonic Possession)」でも書いたが、「憑霊」は差別語でもない。私の信ずるところに従えば、誰でも多かれ少なかれ霊の影響を受けているのだから。
「精神病」、これも昔は差別語に近かった。しかし、今は必ずしもそうでない。世の中の理解が進んだからだ。
▶ 私は、鬼束さんが体験したことは、やはり霊に関係したことだと思う。
映画『エミリー・ローズ』は実話を基にしている。ドイツのアンネリーゼ・ミシェルという若い女性に起こったことだ。人は「映画」というとエンターテインメントだと思い、あまり真面目に受け取らないかも知れないが、しかし上の画像に見るようなことは、実際その女性が体験したことだ。
鬼束さんと同じく、人の顔が恐ろしい悪魔的なものに見えたわけだ。
鬼束さんと同じく、人の顔が恐ろしい悪魔的なものに見えたわけだ。
否、私としても、「だから同じだ」と短絡しない。私も、そのような状態のことは「症例」として精神医学書の中に整理されているだろうことぐらいは知っている。
▶ 私たちは「議論」することもできる。「霊」というのは有るのか無いのか。「憑霊」などというものが本当にあるのか。単に「精神病」ということで簡単に説明がつくものではないのか。等々について。
しかし、私はただ、上の一番下の画像に見る字幕に注意を惹き付けたいと思う。Oare e posibil? ルーマニア語らしいが、英語では Is it possible? だ。「憑霊。そんなことがあり得る(possible)ものでしょうか?」
議論はしないが、少し言えば、まず、この事自体には誰しも賛同すると思うが、「科学は万能ではない」。(そう、これには誰しも賛同する。紛糾するのはその先からだ。)
そして、私には、科学による「説明」あるいは「解釈」は、もともとその手法に限定された一方向からのみ見た上の「説明」であり「解釈」である、という気がする。(学がないからうまくは言えないが。)
科学的な推論や科学的な結論も、必ずしも「間違って」はいないだろう。しかし、必ずしも間違ってはいないが「一面的」である可能性が常にあるだろう。精神医学なんていうのは特に、そうなる可能性が大だろう。悪くすれば、そこにおける「説明」「解釈」は後付けのようなことになりかねない――そんな世界のような気がする。
そもそも、精神医学なら精神医学の学問世界「全体」が、「閉じた世界観」というか、「閉じた体系」?なんだと思う。
▶ とは云え、私としても、霊的な原因、あるいは原因の霊的な理解というものを、あるいは原因の全的な理解というものを、確かになど描けない。
何と言っても、霊界側の動きは「目に見えない」のだから。
何と言っても、霊界側の動きは「目に見えない」のだから。
私に言えるのはただ、「獏たる確信」という矛盾したようなものだけだ。
私が「漠然と確信」しているのは、悪霊は人間の弱点につけ入るということだ。
それは人間の弱点の傷口に指を入れ、広げようとする。
そうして、その広げられた穴から、人の内面(精神状態)を引っ掻き回す。
私が「漠然と確信」しているのは、悪霊は人間の弱点につけ入るということだ。
それは人間の弱点の傷口に指を入れ、広げようとする。
そうして、その広げられた穴から、人の内面(精神状態)を引っ掻き回す。
ちなみに、精神科医によるこのような表題の本もあるわけである。 まあ、内容は、あまりに「気まま」に書かれた軽いコラムの集合であって、まったくお勧めしないけれども。(そして第一、絶版だけれども。) そして、この著者も、「精神病は100パーセントおばけの仕業だ」とは言わないだろうけれども。 |
▶ 鬼束さんは最近、少なくとも表向き、快調のようだ。
しかし私は、まったく、少しも、喜ぶことができない。
何故なら、身も蓋もない言い方になるが、悪霊の影響力に「親和して」しまったように見えるからである。それと「融和して」しまったように見える。それ故のある種の安定であるように見える。
何故なら、身も蓋もない言い方になるが、悪霊の影響力に「親和して」しまったように見えるからである。それと「融和して」しまったように見える。それ故のある種の安定であるように見える。
まあ、直感的に、霊感的に?、そう思う。
あなたの写真からは、良いものが出ていないし。(むしろその逆だ。)
あなたの写真からは、良いものが出ていないし。(むしろその逆だ。)
私の目には、残念ながら、より悪くなったように見える。
今のあなたのハッピーさは、いわば「悪魔のハピネス(La felicità del Diavolo)」であるであるように見える。
今のあなたのハッピーさは、いわば「悪魔のハピネス(La felicità del Diavolo)」であるであるように見える。